潤活日記

超還爺のサイクルライフ

琵琶湖を目指して・・・


今回は琵琶湖を一周してくるブルベを走ります。
午前6時にスタート地点の石和温泉を出て、甲府を過ぎ身延を通り海沿いに出る予定です。

 

当初DHバーを装着しましたが、軽量化を優先して土壇場で装備を変えました。石和温泉へは途中まで妻に車で送ってもらい中央線で輪行。
夜は前夜祭と称してツーリングクラブの仲間と緊張感のないゆっくりした時間を過ごしました。
翌朝その仲間は夜明け前にスタートその後私も続きます。


海沿いに出ると旧東海道の興津を通る定番コースですが今日は気持ちよく走れています。
由比・興津・清水と予報に反して天気も良く、青い海が太陽に反射してきれい。

今や名物となった「石垣いちご」の石垣の遙か上にそびえる久能山東照宮を右に見ながら海岸線を進んでゆくと、急峻な崖が連続し昼でも不気味な大崩海岸に至る。カーブ続きの難所から何とか開けた焼津港へ抜けて昼食、そこから久しぶりの御前崎へ。

御前埼  前回復路ではこのあたりでちょっと難儀した因縁のある場所。

掛川・袋井・磐田を通るルートは防風林で海も見えず景色も退屈なまさに耐える時間。
平日ということもあり交通量は多く、すぐ脇を大型車がバンバン通り過ぎるので気疲れします。

浜松を過ぎる頃日没を迎え浜名湖へ。去年の浜名湖往復600㎞ブルベ以来一年ぶりの浜名湖ですが、やはり夜間なので景色は見えません。
愛知県に入り淡々と豊橋・岡崎を走って名古屋の通過チェックで距離は330㎞。

しばし休息を取って再び走り出します。その頃から時折雨がぱらつきますが、名古屋を抜け淡々と走り早朝木曽川を渡って岐阜県へ。

長良川沿いを進んで養老町、関ヶ原を超えるころには雨がかなり強くなっていました。

ずぶ濡れで大垣を抜けるといよいよ滋賀県です。米原駅を過ぎ4年ぶりの琵琶湖を沿いを走っているとき。前回ブルベで台風25号のどしゃ降りの中を走った記憶が蘇ってきました。それがあるので天気予報を吟味してこの日程にしたのですが、予報はずいぶん外れこの後さらに雨がひどくなるらしい。時間にも体のコンディションにもまだ余裕は有りますが、この先ゴールまでずっと雨に打たれながら来た道を帰るのは危険を伴います、やむなく半分の琵琶湖でDNF(リタイア)の決断をしました。
それともうひとつ、予報より気温が下がっていて、このまま進んむと経験上体力を維持することも厳しいことが予想されたためです。 


不思議と残念とか悔しいと思うことはなく、米原まで引き返し、あえて「こだま」でのんびり今回の道のりを振り返りながらひとりお疲れビール!
約30時間昼夜をかけて走ってきた道のりも新幹線車窓からは高速早送りしているように風景が飛んで行きます。

 

ところで私より少し先にスタートした仲間は凄まじい走りをした。帰宅後も1時間ごとに予想される位置の天気をチェック、無事を祈っていた。彼は想像以上の豪雨に耐えながら数十時間走り続け、ゴールまで残り30キロまできた真夜中の山梨県内で、災害の恐れがあるためとして次々と通行止めに遭う。疲れ切った体で頭をフルに使って迂回を繰り返し、制限時間との戦いも加わり壮絶な走りで何とか時間内完走を果たした。その光景が目に浮かぶだけに話を聞いていてもワクワクドキドキする。私なら到底辿り着けなかっただろう。
正に尊敬するスーパーランドヌールである。
そして今回クラブから参加した4人のうち唯一完走した強者だ。


一方私が予想外だったのは案外膝が保ったこと。実はこの所かなり悪化していて静岡あたりまでかと思っていました。でも騙し騙し琵琶湖まで来れたので自分的には十分です。
ブルベには時間制限がありますが、私は「無駄な走りはしない」と言うスタイルで今まで走って来たので温存に繋がっているんだと思います。そんな走り方でも今までタイムアウトになったブルベは一本もありませんから間違ってはいないと思います。
ただ年齢を重ねる毎に若い頃と体の労り方が変わってきている事を実感します。



帰宅後、本当にトラブルもなくよく走ってくれた自転車を、感謝の気持ちを込めて綺麗に分解清掃しました。 時間制限のある中で何百キロもパンクなどトラブル無しで走れるというのは本当にありがたいこと。いやパンクは何度かしていたようで、致命的なものがなかっただけで、修復跡が何箇所かあった。チューブレスタイヤの恩恵です。いくら整備をしたとしても出先で何度もパンクをするとメンタル的にダメージとなります。運もありますが、速く走るためのだけの自転車ではないので、いろいろ丈夫なのかも知れません。装着していた幾つもの重いバッグを下ろすとき、ふと何だか馬から鞍を下ろすような感覚になりました。と同時にこいつといつまで旅が出来るんだろうか・・・とも。