潤活日記

超還爺のサイクルライフ

横須賀サイクリング

8月下旬、横須賀から浦賀をサイクリング。海を隔てたつながりや、明治の遺構を訪ねてみました。


湘南から鎌倉・逗子を経て横須賀へ。今年に入ってやけに横須賀にくる機会が増えていますが、気になるサイクリングネタが多いということでしょう。

三浦半島一周などでサイクリストが集うことが多いヴェルニー公園に立ち寄ります。
いきなり軍港の町を感じさせる光景が広がります。
戦艦陸奥の主砲の向こうには米軍の巡洋艦、左に目をやると海上自衛隊の艦船やら、南極観測船「しらせ」の姿も。


今回は三笠公園をスルーしながら横須賀のメインストリートを駆け抜けます。


最初の目的地は小高い丘を登ったところにある安房口神社。
長い石段を登り鳥居をくぐり鬱蒼とした森の中を進むと、小さな狛犬が見えてきました。しかし、その向こうにあるはずの社殿が見当たりません。代わりに鉄格で囲まれるよに中には苔むした大きな石が置かれていました。実はこのしめ縄が渡されたこの石がこの神社の御神体なのです。
この神社に来た理由は、昨年の秋海を隔てた安房国(千葉県館山市)一ノ宮「洲崎神社」に端を発します。洲崎神社にも同じく海岸に御神石が祀られているのですが、この二つの石には言い伝えがふたつあるのです。

役行者が海上安全のために一つを洲崎に、もう一つを横須賀の吉井に祀ったという伝説と、龍宮から一対の石が奉納され、一つが東国鎮護のために吉井に飛んでいったという伝説です。
横須賀の石の穴は口を開けたような「阿」を、洲崎の石の割れ目は口を結んだような「吽」であうんを表し向かい合う対の石となっています。
一方だけというのはスッキリしないのでここを訪れたという訳です。


続いていつもなら走水や観音崎を回って行くのですが、今回はショートカットして一路浦賀へ。

二カ所目の目的地はこちらの「叶神社」(東叶神社)です。

文覚上人が、養和元年(1181) 源氏の再興が叶い浦賀の西(対岸)に石清水八幡宮を勧請し、後に叶明神として祀る叶神社(現西叶神社)となりました。その後浦賀村が東西分村となり、新たにこの東側にも東叶神社が建てられた。こうして海を隔て向かい合うたふたつの叶神社が誕生。




対岸の西叶神社までは渡し船を使ってみます。いつもは自転車で海沿いを走るのですが、今日は初めて自転車と共に渡し船に乗りました。近頃運営会社が変わり船着場も船もリニューアル、自転車の乗船も楽ちん。
小走りで歩く程度の速度でゆっくり進むので揺れもなく海面も近いので涼しげ、大人一人と自転車で料金は400+100円でした。

自転車用のラックも装備されていて楽ちん。およそ5分の乗船時間でしたが、海面が近く海風が心地よかったです。 

着岸すると程なく西叶神社に到着です。


こちらが西叶神社です。


昔の街並みを残す裏通りを行くと広い空き地が見えてきました。
ここは「浦賀奉行所跡」です。


さあ、ここが今回のサイクリングの目玉と言っていい千代ヶ崎砲台跡です。

GoogleEarthでかなり前から気になっていたのですが、「千代ケ崎砲台」は、東京湾がもっとも狭まる浦賀水道の入口に位置している防衛上の重要拠点でもあり、近年まで自衛隊管理下にあり立入禁止区域でした。現在は史跡として横須賀市が維持管理し一般公開が始まっています。 この方面に関心のある方には細部まで楽しめると思いますが、わたしは上っ面だけご紹介します。

実は砲台は海から見えません、逆もまたですが、ここに据えられていたのは口径が28センチの「二八サンチ榴弾砲」(サンチはフランス語でセンチの意味)という大砲。上に向け発射し障害物を飛び越え放物線を描きながら着弾させる仕組み。


この二八サンチ榴弾砲は劣勢だった日露戦争の旅順攻略で投入され、我が国を一気に勝利に導いたという、明治時代最強のドでかい大砲です。大砲の重さは10t以上砲弾もひとつ210kgと当時としては桁違い。ただその分照準を合わせることや重いので扱いも難しい代物でした。

ひとつ残念なのが各入り口のレンガが大きくえぐられている事。これは太平洋戦争終結後のどさくさに紛れて金属の窃盗に遭ったため全ての金属が持ち去られ、その際損傷し無残な姿になっているところ。


三つの砲台は地下で繋がっており当時の技術の粋を懲らした施設であったことが伺えます。

そうそう、ここの特徴として、ボランティアガイドの方が付いてくださるシステム。
ユーモアを交えた説明にどんどん引き込まれ、お陰で随分勉強させていただきました。

技術も資金も労力も投入して築かれた東京湾の守りの要ですが、この千代ヶ崎の他、観音埼や猿島なども含め砲台に据えられた大砲からは敵に向けて一発も発射されることは無かった、それは幸いなのか時代の流れを読み違えた徒労なのか?


戦後自衛隊の管理下にあった時代ここはテニス場として一般人からは見えない自衛官達の遊び場だったようで、ウインブルドンやコロッセアムでプレーしている気になっていたのでしょうか? 土地を移管する際ようやく原状回復されたと言います。なんとも情けないね。



さて、次は少し重苦しい場所。 ここは燈明堂処刑場跡、「首切り場」と呼ばれることも多いところですが、先ほど訪れた浦賀奉行所から連行された罪人の処刑が行われていたと伝わります。この地では夥しい人骨が出土しており、今でもかなり埋まっていると言われています。そのせいか夜間に幽霊の目撃話もけっこうあるようです。ここだけでなく先月訪れた近くの隧道でも出没するのか供養塔などが置かれていました。

その脇に目をやるとご覧の通り美しい白浜の海。

更に鼻の突端には江戸時代幕府の命で220年間毎日灯された燈明堂があり、近年石垣や文献を元に再建されています。

以上で予定はコンプリートです。



余談ですが・・・。
実は今回、千代ヶ崎砲台跡への急坂を登り切ったところで熱中症のためか立っていられなくなり門の前で思わず座り込んでしまう。そのまま帰ろうとも思ったのですが、帰るにも色々面倒なためせっかくなのでとりあえず中だけでも覗いておうと進んでゆくと、エアコンの効いた休憩所があり冷水の提供もあり、しばらく涼むと何とか復活。これは本当に助かりました。



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