潤活日記

超還爺のサイクルライフ

横須賀水道みち


長いのでご覧になる場合は適当に飛ばして下さい。(^-^) ※タイムラプス有り


近所に妙に真っ直ぐな道があり、地図で見るとかなりの距離が直線でした。


以前も地図上で不自然な真円状に整地されているところを見つけ調べてみると、太平洋戦争時代の旧日本海軍の通信施設跡でした。
今回の道も住宅密集地や工場など様々な施設を貫くように道が引かれていて、これほどの直線的なものは現代では新幹線ぐらいでしょう。となるとやはり歴史に関わる事柄と調べてみると、大正時代に丹沢山麓の愛川町から当時の横須賀工廠(工廠とは軍需工場)まで日本海軍が引いた横須賀軍港水道であることが分かりました。

 

旧日本海軍の通信施設(深谷通信所)

旧日本海軍の横須賀軍港水道


戦後は軍から横須賀市に譲渡され、以降これまで水道水として横須賀市が管理してきました。
しかし、近年水源の水質悪化や施設の老朽化が顕著となり平成19年に使用停止、同27年に廃止となった経緯の水道です。廃止から既に8年、徐々に撤去や解体が進み痕跡も消えつつあります。全長53km高低差70mの自然流下で送られてきた水がどのような経路を辿っているのか見ておきたくて、今回可能な限り自転車でトレースしてみました。


この取水口も取り壊されるようです。

取水された水は沈砂池を経て浄水されていない原水で送水されます。

ポンプを使わない自然流下には緻密な計算に基づく設計が必要で玉川上水を思わせます。

自転車でも大変な12%の急坂が続く水道坂を水が駆け上がります。

建設当時から相模川に架かっている上郷水管橋は、関東大震災や太平洋戦争もくぐり抜けて100年以上水を送り続けています。

開通二年目の関東大震災の時に被った被害は甚大で、復旧まで2年を費やしました。

自然流下なのでナメていましたが、全体的に起伏が結構多かった。

藤沢市に入ってもこんな風景

なんか行き交う新幹線がリアルでした。

江戸時代と変わらん。

二本の水管、小さい方が直径50Cmの辿って来た半原水源からの半原系統の送水管、太い方は戦後横須賀向けに相模川から取水し有馬浄水場を経由する新たに設けられた直径100Cm上水道 有馬系統。

半原系統の仕切弁 マンホールには横須賀市市章が。(藤沢市立石付近)

境川水管橋  こちらでは半原系統は既に撤去、有馬系統のみが残されています。
 ここは藤沢市でも激坂に入る坂 (上下写真 藤沢市西富付近)

藤沢市と鎌倉市との境 柏尾川に架かる水管橋

ルート上には数え切れないほどの旧日本海軍の標石を見かけました。

横須賀線を跨ぎます

田浦山に設けられた盛福寺管路ずい道

中はこんな感じ、右が送水管

田浦山隧道

さあ、横須賀市水道局逸見浄水場への最後の激坂。 でもこれには(*_*) マイッタ!

53キロの終着点、横須賀水道みちのゴールです。 
戦後はこの逸見浄水場で上水として市内にきれいな水が供給されてきました。
浄水場だけに厳重に管理され監視カメラも数台ある物々しい雰囲気でした。




余談ですが、今回は歴史や情報を調べながら面白かったので、
動画編集に時間がかかってしまいした。f(^_^)
残念なのは天気がねぇ・・・。